30年後の「明るい未来」について

野村:これからの30年後を考えた時、30歳、30代である私たちのほとんど全員が、まだ生きて仕事をしたりしていると思います。そんな中、先程の話にもありましたけど、少子高齢化は進み人口ピラミッドは歪なものになっていくなど、地方の未来のネガティブな側面というのはいくらでも言えると思います。しかし一方で、なかなか明るい未来を語ることはできないというのはありがちではないでしょうか。こういった場なので、それぞれ活動されている基盤のなかで結構なので、自分たちが描く明るい未来やビジョンなどをお話いただければと思います。

小原:明るい希望ということで、私の基本はふるさとです。ふるさとを元気にすることが目指すところです。私もそうだったんですけども、ふるさとを離れた人たちの方がふるさとを想う気持ちが強かったりするのではないかと思います。ふるさとは遠きにありて想うものというのでしょうか、ふるさと魅力などをあらためて感じることがあるかと思います。今の問題というのは、若い人たちが地元を離れて東京や大阪に出ていかざるを得ないというのが現状です。昔は地域に魅力がないから都会に行きたいという傾向があったかと思います。しかしその傾向も変わってきていると思います。例えば、私の同級生も帰ってきていたりします。どうしてと聞きにいくのですが、その理由は都会に出て夢破れて帰ってくるといった形です。それはマイナスのことなのかもしれません。しかし地元に戻れば、実家で暮らし、頑張って生活していければ、結婚をしてというような幸せを描くことができるように思います。今は東京一極集中ですが、私が政治家としてやっていきたいことは大きなビジョンですが、地域主権、地域分権です。地元のことは地元が、地域のことは地域で決めて、みんなでまちを良くしていくんだというようなまちづくりが可能なように制度自体も変えていきたいですし、ボトムアップの機運の醸成ができればいいなと思っています。

そのなかで、私が今取り組んでいるのは港湾人口です。舞鶴港が日本海側の拠点港湾に認定されました。これまでは太平洋側ばかりに光が当たっていましたが、これからはアジアの成長を取り組むということで、この日本海側にも契機がやってきました。この山の陰と書いて、山陰地方に光を当てるという気持ちで取り組んでいます。このことによって、舞鶴港に大型クルーズが停泊し、外国人観光客がやってくることになります。このような制度は国で作ることができますが、それを受け入れるのはやはり地元です。みんなで一緒になって頑張っていきたいと想っています。

横粂:これから30年後という世界、私はどんな世界だってつくれると思います。今から30年前は、iPhoneやiPodがある世界なんてだれも想像しなかったですし、誰もが携帯をもち、新幹線が、飛行機が、リニアがというような世界もそうです。これから30年後なんてもっと予測がつかない世界になっていると思います。ドラえもんをつくることもできるし、月に移住することもできると思います。しかし、それは私たちがどんな世界を望むかによって決まると思います。それを私たちの世代が考えていかなければいけません。

私は未来型都市と郷土という両方の魅力が併存するミックス型なのかなと思います。すべてが機械で、すべての車が空を飛んでという世界は魅力的ではあるけれども人間性がなくなるような気もしますしどうかなと思います。逆に郷土が、郷土が、郷土が、平和が、幸せが、というようにブータンのような国に日本が戻れるかというのも無理だと思います。ベストミックスが日本なのかなと思います。高度経済成長を経て、経済力が上昇していった。ただ、田舎と都市ができてしまって、日本列島改造論で日本全部をやろうということになった。それを良い意味でミックスさせていく必要があるのかなと思います。

私はこれから10年後に総理になると言っています。その後の10年20年で所得を倍増することはできると思っています。日本の魅力を海外に発信していくという今は全然やっていないことをやっていく。日本のものやサービスで海外に通用しないものはありません。どんなものやサービスだって世界スタンダードにすることができると思っています。伝統工芸、野菜、魚、物流だってそうです。インドネシアという国は人口2億何千人くらいいますが、あの国はネット通販でものを買っても次の日に届かないというのが当たり前です。来ないかもしれないけどネットで買うみたいな物流状況です。日本の物流システムを東南アジアで根付かせる、アフリカで根付かせることも可能なのです。下水道、高速鉄道、飛行機だってそう、日本のものを世界スタンダードとして発信していくことができる。ただ、GDPではなく、GNPまたはGNI、国民総所得、世界で稼ぐことを含めた所得であれば絶対に倍増できる。でもそれが高度経済成長的な稼いてなんぼのものではなく、稼いだお金を福祉に当てていくことが大切です。郷土に福祉にまわすために世界で稼いでいく。田舎と都会、いい場所と悪い場所、すべてが合わさったあたたかみのある日本をつくっていく。日本で生まれて、日本で育って、日本で老後を過ごして、日本で死んでいく、そこに世界最高の価値を見いだしていく、そんな未来を、私たちの世代でどうにでもしていく、どうにでもできるそんな責任ある世代なのかなと思っています。ドラえもんとまではいかないかもしれませんが、一緒に夢ある未来を作っていきましょう。

吉岡:私からは、みんなが疲弊しているまちだと言われるし、思っているし、親世代はバブルであった、そのツケが回ってきているのかなと言ったような被害者意識があるのかなと思っています。今日はオブザーブで小室君という青年会議所のメンバーが来ているのですが、昨年の事業で彼が中心となり地域活性化事業を行いました。そのなかで、神々がつくりし国というDVDを作りました。よさのスタイルにもアップをさせて頂いているのですが、この地域は文化や歴史がたくさんあります。みなさんもご存知だと思います。何がこの地域を作ったのかということで、心に着目した作品になっています。ユーチューブにもあがっているので一度ご覧頂ければと思います。

個人的には人口減というのが必ず訪れると思っています。10年15年すると、人口も6割になるようなことが言われています。人口ピラミッドで20代が特に狭くなっています。なので、働ける人が働いていく、65歳までの生産年齢人口がしっかり働くことが大切かなと思っています。私の家内は専業主婦ですけども、場合によっては働いてもらわなければいけなくなるかもしれません。シングルカムではなくツインカムでやっていく必要も出てくるかもしれません。そのかわり、親たちには子どもの面倒を見てもらうという役割分担をしていく必要があるのではないかと思います。

山添:私の考える与謝野町の理想の姿はすべてここにあります。この会場には、町在住者、そして東北、東京、あるいは九州から帰省し、参加してくれた人達がいます。与謝野町に在住する人、遠くで故郷を想ってくれている人、みんなでこの故郷をつくっていくことができるならばより素晴らしい町になると思っています。

このイベントを準備するに当たり、人口調査をおこないました。私たちが中学校を卒業する頃、同級生は約315人いましたが、現在、与謝野町に住民票がある同級生は184人です。つまり約4割は、どこか別の場所で生活されています。私は町内在住者と全国各地に散らばり生活している出身者、この人間関係が織りなすネットワークそのものがひとつの「まち」だと考えています。本日のように、みんなでまちの未来のことを考え、まちをつくっていきたいと思っています。

野村:パネリストのみなさん、ありがとうございました。これから楽しい楽しい懇親会があるわけですけども、そのなかででも、いまお話しいただいたことや様々なことについてパネリストの方々に話をかけてもらって、ひとつでもふたつでも何かを持って帰っていただければ、この場で議論したかいもあったのかなと思います。

以上でパネルディスカッションを終わりとさせていただきます。あらためまして、パネリストのみなさんに大きな拍手をお願いいたします。



パネリスト&司会プロフィール(敬称略。2012年3月末時点)

  •  小原 舞

    衆議院議員。民主党所属。2009年の第45回衆議院議員総選挙で初当選。公式サイトはこちら

    •  横粂 勝仁

      衆議院議員。弁護士。新党「改革の志士」代表。2009年の第45回衆議院議員総選挙で初当選。公式サイトはこちら

      •  吉岡 宗典

        2011年の宮津青年会議所理事長。土地家屋調査士。吉岡宗典登記測量事務所所長。

  •  山添 藤真

    2011年度30歳の成人式実行委員会の委員長。京都府与謝野町議会議員。2010年与謝野町議会議員選挙で初当選。公式サイトはこちら

    •  野村 歩

      「30歳の成人式推進委員会」メンバー。プランナー。地域活性化への寄与を目的とする合同会社プブリカ共同代表。